滋賀県隊友会

TAIYU SHIGA

あれから23年・・・

あれから23年・・・

あれから23年、今年も鎮魂の日が巡って参りました。宝塚市の官舎で突き上げるような衝撃に飛び起き、第3科長という職務柄、家族の安否確認もそこそこにたまたま残っていたパンをかじりながら余震の続く中を無我夢中で駐屯地に到着したのが6時、自衛隊と言えども突然の事態に混乱し、隊員の安否確認さえも不十分な状況な中で、被害状況に関する未確認情報が乱れ飛び災害派遣要請も無い中で「近傍派遣」として阪急伊丹駅に出動を決心して以来、4月27日までの100日間に及び私が自衛官として経験したことのない長いそして手探りの災害派遣活動が始まりました。人命救助用の資器材は現在ほど充実装備されておらず、エンピと十字鋤と云ういわば素手で大都会の瓦礫をかき分ける状態の中、「今、行動することがマニュアルになる。」と腹をくくり、逐次全国から駆け付ける部隊に元気つけられながら陸・海・空一帯の災害派遣活動を無我夢中で取り組んだことが今でも鮮明に記憶に留まっています。23年経過して神戸をはじめとする阪神地域の外観は殆ど発災前以上に整備されたように見えますが、被災された多くの市民の皆さんの心の痛みや目に見えない喪失感等々は未だ完全に払拭できるものでは有りませんし、決して風化させてはいけないと思います。その後東日本大震災、熊本地震、各地の大規模風水害等々「災害列島日本」の宿命のように大規模災害は終わることは決してありません。「かわいそう。」頑張って下さい。」では済まされない・・・「明日は我が身」との思いを強くして物心両面の自助・共助の心構えと準備を怠らず、更に充実して「美しい、優しい日本」を守っていきたいものです。

淡路島震源地

直後の隊員居室・・ベッドにロッカーが・・

阪急伊丹駅、最初の人命救助実施

必死に瓦礫と戦う・・

発災2ケ月、応急復興(瓦礫除去)活動

皇太子ご夫妻の視察・激励を受ける(千僧駐屯地にて)

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